人間読み始めると早いものだったりするんですよね~(挨拶)
こないだ久しぶりに本を一冊読み終えた足で、最寄りの本屋に行き、次の一冊を探しているときに巡りあった。
タイトルからしておふざけの本だと思って、パラパラと立ち読みしてみると、確かにふざけている、、、w
しかし、そのふざけ方が何というか、、、“真面目にふざけていた”ことで好感が持てて、そのまま購入~♪
内容としてはアマゾンのサイトを見るのが一番早いっちゃー早いので、コピペしておく。
↓↓↓
https://www.amazon.co.jp/%E6%8E%A8%E5%AE%9A3000%E6%AD%B3%E3%81%AE-%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AB%E6%95%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%83%95-%E5%BA%95%E8%BE%BA-%E3%81%AF%E3%80%81%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%81%AA%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%80%81%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/dp/4909044035/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1523364920&sr=8-1&keywords=%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AB%E6%95%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%83%95
自分としては珍しく哲学の本。
哲学って非常にとっつきにくい内容、、、ってくらいの知識しか持っていなかったんだけど、この本の構成する文章の99%は口語文で書かれつつ、その会話内容もボケとツッコミのやり取りがほとんどで、哲学の難しい知識を非常にわかりやすい例え話で書かれているというのが大きな特徴。
ストーリーとしては、古代ギリシアの3000前からずっと生き続ける(※厳密には死に続けている)、哲学の知識が豊富な“ゾンビ先生”が先生役となって、うだつの上がらない現代人の“ひろ”に哲学の知識を教授し、“ひろ”が徐々に精神的に成長していく・・・みたいな感じ。
そこで、自分も名前だけは聞いたことがあるような、過去の哲学者達の提唱した難しい哲学の講義を、ユーモアたっぷりの掛け合いの中で勉強していけるという内容になっている。
以下興味深かった部分を列挙、、、
フロイトのたどり着いた結論は、人間の本能的な欲求は「近親相姦」「殺人」「カニバリズム(人食い)」の三つであり、人は他人を殺したり食べたり母親と性的関係を持つことにより幸せになるというもの、、、
哲学が古代ギリシアで始まったのは偶然ではない。・・・そこで鍵を握るのは「奴隷」・・・「奴隷」の存在により特定の人々に時間と精神にゆとりが生まれたことにより、「人生とはなにか」「善く生きるためにはどうすればよいか」という込み入ったことを考えるようになった。
人間というのは「理解できないもの」「なんだかわからないもの」を過剰に恐れるという傾向がある。「知る」という行為は、その恐れや不安を払拭することにつながる。
古代ギリシアにプロタゴラスという哲学者がいた。そのプロタゴラスが残した言葉が、「人間は万物の尺度である」。
どういうことかと言うと、「人間」というものさしは、個人個人でまったく目盛りの幅が違うということ。
「美味しい」「不味い」「暑い」「寒い」「広い」「高い」などという項目は、絶対的な、普遍的な評価を下すことは不可能・・・物事に絶対的な基準がないということは、物事はすべて人それぞれ、要するに「相対的」だということ。このように「世の中のあらゆる基準は相対的である」とする考え方を「相対主義」と呼ぶ。
突き詰めて考えると、この世の中の対立は「善と悪」ではなく、「善と善」との対立が発生している。
哲学の歴史というのは、哲学の否定の歴史でもある。ある思想家が説を打ち立てると、次の哲学者はそれを否定して別の説を展開する。すべてを否定することもあれば、半ば否定し花馬取り入れ新たな思想に発展させることもある。
ソクラテスは「善い家を知っている大工こそが善い家を建てられるように、『善いこと』を知っている人間こそが善く生きることができる」と説いた。
しかし、ソクラテスはあるとき気がついた。自分は善や正義について、何もわかっていない。無知である。ところが、「自分に知らないことなどない」と思い込み横柄な態度でいるくせに実は無知である賢人たちと違い、少なくとも自分は「自分が無知である」ということを知っている。そしてその「自分が無知である」という自覚、無知の知こそが、人間にとって大事なことである。
ソシュールという言語学者が言葉について「言語とは、差異のシステムである」と定義した。・・・要するに言葉とは、「あるもの」や「ある状態」を、他のものと区別するために存在する。・・・人には「興味がある」あるいは「価値がある」と感じたものを他と区別する・・・人間以外のすべての生物からしたら机と椅子と本棚に違いなんて存在しない
認識について学ぶなら、ソクラテスの弟子であるプラトン、そしてプラトンの提唱した「イデア論」が入口になる・・・すべてのものにはイデアが存在している・・・私たちが犬を見たときにそれが犬だと理解できるのは、犬のイデアが存在しているから、犬のイデアとは犬の定義と寸分たがわぬ犬の完全体というか、遂行なる唯一無二の、犬の中の犬っていう感じの犬のこと。
・・・イデアはイデア界にある(現実世界の他にある世界)・・・現実世界にあるあらゆるものは、イデア界に存在するイデアのコピーとして作られている。プラトンによれば、私たちの魂は、みな生まれる前にはイデア界にあった。
デカルトは「人間が五感で認識していることに確実なものなど何もない」ということから思考を始め、だとしたら、疑いようのないものは一体なにか?そうやってないもかもを疑って疑って疑い抜いて、でも「それだけは疑うことができない」というものを見つけたなら、それを真理として第一原則に据えることにしようとした、このデカルトの思考法を「方法的懐疑」と呼ぶ・・・ついにデカルトは、たったひとつだけ疑う余地のないものがこの世界にあることに気がついた、それは「疑っている自分自身の存在」、あらゆるものは、疑うことはできる。ところが、そうして自分があらゆることを疑っているということ、疑っている自分が存在していること、それだけは決して疑いようのない事実。だってなにかを疑うということは「なにかを疑う主体」である自分がいるということなのだから。
イギリスの哲学者ラッセルは「世界五分前仮説」を唱えた。その説によると、この世界は今からたった五分前に作られたものかもしれず、その仮説を何者も完全に否定しきることはできないというもの。
我々が認識できているのが「時間」と「空間」だけ。
ニーチェは「道徳の裏側には、強者に対する弱者のルサンチマンが潜んでいる」と主張した。ルサンチマンとは「怨み」や「妬み」「ひがみ」ということ。
ソクラテスはこう提唱した、「人がなにかを欲するのは、それが欠けているからだ。もしそれが欠けていないなら、それを欲することなどないのだから」
心理学者アドラーはこう提唱した、「人が自慢をするのは、劣等感を感じているからだ」
哲学者ショーペンハウアーはこう提唱した、「虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は人を寡黙にする」
ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、「世界は対立によって保たれている」と述べた。万物は、戦いと対立があるからこそ調和しているのだと。・・・・食べている時が幸せだという人間がいるが、それならば一日中ずっと食べ続けていれば幸せになるのか?決して違う、「空腹が悪」で「満腹が善」ではない。空腹状態があってこそごはんが美味しいいと思えるのだ。寝れない状態があるからこそ寝ることに幸せを感じるのだ。苦と楽との対立こそが、世の中を調和させている。
「人生は、スーパーマリオブラザーズ」
その心は、マリオのゲームには、いろいろな敵な出てくるでしょ?強敵や気味の悪い敵、山に谷に海に意地の悪い仕掛け。プレイヤーは幾多の難関を超えて、お姫様を助けに行かねばならない。攻略には努力と根気が必要。・・・しかし仮に、攻略を容易にするために中身がすべて「敵も出ず山も谷もないステージ」になったら、それは喜ばしいことだろうか?ただまっすぐ進むだけですぐにお姫様を助けられたら、おまえはそれを楽しいと思うか?
とまぁ~そんな感じぃ~
正直、自分が今回列挙した部分だけを読んで、過去の哲学者たちの難解な説が理解できるようにはなっていないと思う。
しかし、自分もこの本を読んで、第三者に上手に説明はできないけれど、自分自身の中では咀嚼できる程度には、かつての哲学者たちの思考が理解することができた。
最後の太文字にした部分が、この作者が本の中において、唯一自分自身の考えを書いたところだった、、、これを書きたいがために、かつての哲学者たちの説を書いていたとも考えられるw
やはり、終始会話のやり取りで話が進んでいくので、ストレスなく一気読みができた。
日頃読まないタイプのジャンルであり、文章だったというのも興味深い部分だった。
哲学興味はあるけど、事前知識は無いんだよね~って人にはオススメの一冊でしたね。
今回はそんな感じでーーす
ではでは(´∀`*)ノシ バイバイ
こないだ久しぶりに本を一冊読み終えた足で、最寄りの本屋に行き、次の一冊を探しているときに巡りあった。
タイトルからしておふざけの本だと思って、パラパラと立ち読みしてみると、確かにふざけている、、、w
しかし、そのふざけ方が何というか、、、“真面目にふざけていた”ことで好感が持てて、そのまま購入~♪
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自分としては珍しく哲学の本。
哲学って非常にとっつきにくい内容、、、ってくらいの知識しか持っていなかったんだけど、この本の構成する文章の99%は口語文で書かれつつ、その会話内容もボケとツッコミのやり取りがほとんどで、哲学の難しい知識を非常にわかりやすい例え話で書かれているというのが大きな特徴。
ストーリーとしては、古代ギリシアの3000前からずっと生き続ける(※厳密には死に続けている)、哲学の知識が豊富な“ゾンビ先生”が先生役となって、うだつの上がらない現代人の“ひろ”に哲学の知識を教授し、“ひろ”が徐々に精神的に成長していく・・・みたいな感じ。
そこで、自分も名前だけは聞いたことがあるような、過去の哲学者達の提唱した難しい哲学の講義を、ユーモアたっぷりの掛け合いの中で勉強していけるという内容になっている。
以下興味深かった部分を列挙、、、
フロイトのたどり着いた結論は、人間の本能的な欲求は「近親相姦」「殺人」「カニバリズム(人食い)」の三つであり、人は他人を殺したり食べたり母親と性的関係を持つことにより幸せになるというもの、、、
哲学が古代ギリシアで始まったのは偶然ではない。・・・そこで鍵を握るのは「奴隷」・・・「奴隷」の存在により特定の人々に時間と精神にゆとりが生まれたことにより、「人生とはなにか」「善く生きるためにはどうすればよいか」という込み入ったことを考えるようになった。
人間というのは「理解できないもの」「なんだかわからないもの」を過剰に恐れるという傾向がある。「知る」という行為は、その恐れや不安を払拭することにつながる。
古代ギリシアにプロタゴラスという哲学者がいた。そのプロタゴラスが残した言葉が、「人間は万物の尺度である」。
どういうことかと言うと、「人間」というものさしは、個人個人でまったく目盛りの幅が違うということ。
「美味しい」「不味い」「暑い」「寒い」「広い」「高い」などという項目は、絶対的な、普遍的な評価を下すことは不可能・・・物事に絶対的な基準がないということは、物事はすべて人それぞれ、要するに「相対的」だということ。このように「世の中のあらゆる基準は相対的である」とする考え方を「相対主義」と呼ぶ。
突き詰めて考えると、この世の中の対立は「善と悪」ではなく、「善と善」との対立が発生している。
哲学の歴史というのは、哲学の否定の歴史でもある。ある思想家が説を打ち立てると、次の哲学者はそれを否定して別の説を展開する。すべてを否定することもあれば、半ば否定し花馬取り入れ新たな思想に発展させることもある。
ソクラテスは「善い家を知っている大工こそが善い家を建てられるように、『善いこと』を知っている人間こそが善く生きることができる」と説いた。
しかし、ソクラテスはあるとき気がついた。自分は善や正義について、何もわかっていない。無知である。ところが、「自分に知らないことなどない」と思い込み横柄な態度でいるくせに実は無知である賢人たちと違い、少なくとも自分は「自分が無知である」ということを知っている。そしてその「自分が無知である」という自覚、無知の知こそが、人間にとって大事なことである。
ソシュールという言語学者が言葉について「言語とは、差異のシステムである」と定義した。・・・要するに言葉とは、「あるもの」や「ある状態」を、他のものと区別するために存在する。・・・人には「興味がある」あるいは「価値がある」と感じたものを他と区別する・・・人間以外のすべての生物からしたら机と椅子と本棚に違いなんて存在しない
認識について学ぶなら、ソクラテスの弟子であるプラトン、そしてプラトンの提唱した「イデア論」が入口になる・・・すべてのものにはイデアが存在している・・・私たちが犬を見たときにそれが犬だと理解できるのは、犬のイデアが存在しているから、犬のイデアとは犬の定義と寸分たがわぬ犬の完全体というか、遂行なる唯一無二の、犬の中の犬っていう感じの犬のこと。
・・・イデアはイデア界にある(現実世界の他にある世界)・・・現実世界にあるあらゆるものは、イデア界に存在するイデアのコピーとして作られている。プラトンによれば、私たちの魂は、みな生まれる前にはイデア界にあった。
デカルトは「人間が五感で認識していることに確実なものなど何もない」ということから思考を始め、だとしたら、疑いようのないものは一体なにか?そうやってないもかもを疑って疑って疑い抜いて、でも「それだけは疑うことができない」というものを見つけたなら、それを真理として第一原則に据えることにしようとした、このデカルトの思考法を「方法的懐疑」と呼ぶ・・・ついにデカルトは、たったひとつだけ疑う余地のないものがこの世界にあることに気がついた、それは「疑っている自分自身の存在」、あらゆるものは、疑うことはできる。ところが、そうして自分があらゆることを疑っているということ、疑っている自分が存在していること、それだけは決して疑いようのない事実。だってなにかを疑うということは「なにかを疑う主体」である自分がいるということなのだから。
イギリスの哲学者ラッセルは「世界五分前仮説」を唱えた。その説によると、この世界は今からたった五分前に作られたものかもしれず、その仮説を何者も完全に否定しきることはできないというもの。
我々が認識できているのが「時間」と「空間」だけ。
ニーチェは「道徳の裏側には、強者に対する弱者のルサンチマンが潜んでいる」と主張した。ルサンチマンとは「怨み」や「妬み」「ひがみ」ということ。
ソクラテスはこう提唱した、「人がなにかを欲するのは、それが欠けているからだ。もしそれが欠けていないなら、それを欲することなどないのだから」
心理学者アドラーはこう提唱した、「人が自慢をするのは、劣等感を感じているからだ」
哲学者ショーペンハウアーはこう提唱した、「虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は人を寡黙にする」
ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、「世界は対立によって保たれている」と述べた。万物は、戦いと対立があるからこそ調和しているのだと。・・・・食べている時が幸せだという人間がいるが、それならば一日中ずっと食べ続けていれば幸せになるのか?決して違う、「空腹が悪」で「満腹が善」ではない。空腹状態があってこそごはんが美味しいいと思えるのだ。寝れない状態があるからこそ寝ることに幸せを感じるのだ。苦と楽との対立こそが、世の中を調和させている。
「人生は、スーパーマリオブラザーズ」
その心は、マリオのゲームには、いろいろな敵な出てくるでしょ?強敵や気味の悪い敵、山に谷に海に意地の悪い仕掛け。プレイヤーは幾多の難関を超えて、お姫様を助けに行かねばならない。攻略には努力と根気が必要。・・・しかし仮に、攻略を容易にするために中身がすべて「敵も出ず山も谷もないステージ」になったら、それは喜ばしいことだろうか?ただまっすぐ進むだけですぐにお姫様を助けられたら、おまえはそれを楽しいと思うか?
とまぁ~そんな感じぃ~
正直、自分が今回列挙した部分だけを読んで、過去の哲学者たちの難解な説が理解できるようにはなっていないと思う。
しかし、自分もこの本を読んで、第三者に上手に説明はできないけれど、自分自身の中では咀嚼できる程度には、かつての哲学者たちの思考が理解することができた。
最後の太文字にした部分が、この作者が本の中において、唯一自分自身の考えを書いたところだった、、、これを書きたいがために、かつての哲学者たちの説を書いていたとも考えられるw
やはり、終始会話のやり取りで話が進んでいくので、ストレスなく一気読みができた。
日頃読まないタイプのジャンルであり、文章だったというのも興味深い部分だった。
哲学興味はあるけど、事前知識は無いんだよね~って人にはオススメの一冊でしたね。
今回はそんな感じでーーす
ではでは(´∀`*)ノシ バイバイ
コメント
その本のことを知りませんでしたが、この手の哲学を簡単に理解できるシリーズ的な本の先駆けのようですね。
覚えておきますね、、、実はもう次の一冊を買ってしまっておりますゆえ・・・
( ¯ω¯ )