ふとこないだ新聞を読んでいたらこんなような記事が目に入りまして・・・
パワハラ防止法成立。早ければ大企業には2020年4月から社内のパワハラ対策義務化が課される・・・
みたいなやつです。
とりあえず、簡単に言うと・・・
社内でパワハラが起こったら、会社の責任になるんで、会社がパワハラを防止するように取り組みをしていってください。
ってことと・・・
そもそもこれまでは、パワハラというものの定義自体が曖昧だったものをこの条文内において、、、
パワハラとは「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動」と言った定義付けがされた
しかし、この法律自体に罰則規則がついているわけではないので、ザル法だという批判もあるようだ・・・
けれど、この法律の成立に伴って、少しでも人権無視のヤバイ上司が減ってくれる機運になるならば良いことだと思う。
私もかつて前職でとんでもないパワハラ上司の下で働いていたことがあり、退職してから5ヶ月経過したときに、思いの丈をこれでもかっ!!と言わんばかりにタイピングした記事を書いたことがあったけど、、、
( ’ω’o[※長文注意w]o【前職から退職後約5ヶ月間が経過】 “《怨恨/Rancor》って墓地に落ちても、戻ってくる・・・それがどういう意味かをここに記載しておいてもいいのじゃないかな??” の巻
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https://meatbouzu.diarynote.jp/201502152318418659/
ほぼ丸5年経過した現時点で、落ち着いた状態で記事にすることで、自分の中でのさらに気持ちの整理ができることだったり、現時点でパワハラを受けている人間の励みだったり、慰めになったりしてくれるかも・・・?なんて気になったので書いていこうと思う。
けれど、自分がパワハラを受けた部分ばかりを強調して書くのも、退職して結構な年月が経過する中でことさらに強調するのもどうかと思うので、私が前職の会社に就職してから、退職するまでの一連の流れを思い出とともにツラツラと書いていこうと思う・・・
言っとくけど、きっとめっさ長くなるから、覚悟して読んで欲しいwww
まず私がかつて勤務していたのは、某証券会社の営業職だ。
大学卒業後に、その当時景気が良かったことだったり、自分が経済学部に通っていたことだったりしたことで、何となく金融業を中心に就職活動をしていって、その結果内定をもらった会社の中で、1番の大手の会社であるその証券会社に就職を決めた。
今、こうやってタイピングをしていても、気づかされるが・・・
ほんと “何となく” で就職した会社なのだ。
だって、大学2年生の後半になって、周りが「そろそろ就職活動しなくちゃ・・・」という雰囲気になってきて、「じゃあオレも・・・」くらいのかるい気持ちで腰を上げて就職活動していって、そんな中で漠然と「この会社とかいいのかなぁ~?」とかって思って、一度もその会社で働くことなく、筆記試験受けて、その後に面接を何度か受けて、内定もらって、、、就職を決める、、、
まぁー自分だけじゃなくて、周囲の人間もそうやって就職がきまっていることを見ると、何も疑問を持つことなく就職が決まってしまったわけですよ。
けどね、さすがに事前の予習は多少していて、証券会社の営業職はつらいことだったり、入社後3年で離職率が30%以上あるんだよ~みたいな情報は知った上で入社は決めたんですよ。
まぁーもちろん、その時の自分は、「自分はこれまで、ずーっとスポーツをしていたこともあったし、体力的にもメゲることはないだろう~」とか、離職率30%だったところで、きっと自分は残りの70%に入るだろう~とかっていう不思議な自信があったことも朧げながらに覚えている。
でもって、もったいぶらずに結論から書くと、やはり証券会社の営業職と言えど、体力的にきついと感じることは無かったし、入社後3年以内に辞めることもなかった。正確に言えば入社後7年半勤務した後に、退職することになった。
それで本題の“パワハラ”に関してだが、証券会社の営業職はノルマがきつくて、それを達成させるために上司のパワハラがすごいというのも入社前から噂では知っていて、怖いもの見たさみたいな感覚も入社当社はあったように思う。
ドラマであった『半沢直樹』みたいなところがやっぱりあって(※あれは証券会社じゃなくて銀行だけど)、営業員がいるフロアでは、上司である支店長が営業成績をあげるために、いつもいつも営業員に対して罵声や怒声を上げたり、机をバンバン叩いたりする風潮が間違いなくあった。
そう聞いただけで、「すごいブラック企業じゃん・・・」って思う人もいるかもしれないけれど、自分は体験はしてないまでも、そういったことはあるということは知った上で入社していたこともあって、結構違和感なく仕事をすることが出来ていた。
むしろ会社に慣れていくにつれ、支店長の怒り方が理にかなっているものなんだとも思い始めていた・・・
例えば、私が最初に配属された支店では、営業課が4つのグループに分かれていて、その1つのグループがだいたい5~7名前後で構成されているのだが、支店の営業成績が伸び悩んでくると、支店長は全営業員に対して罵声・怒声を上げるのではなく、その営業課であるチームのトップの課長たちだけを支店長室に集めて、その中で怒るのだ。
そして、喝を入れられた課長たちが、営業員がいる営業フロアに戻ってきて、課員たちに指示を出していく・・・
実に良くできた指示系統だと思わないだろうか??
まず第一に、同じ営業を生業としている営業員と言えど、一人一人の性格や得意不得意があるので、支店長が逐一営業員一人一人に個別に指示を出すことは時間的にも到底無理なのだ、だから支店長は“いつまでに何をいくらやるのか?”を速やかに課長連中に浸透させて、それを踏まえて課長が課員の個性に合わせて最大限のパフォーマンスをあげることができるように具体的な指示を出すのだ。
例えば、今週末にAを1000万、Bを500万、Cを300万売らないといけない場合は、Aの販売の得意な営業員に多めに目標を持たせたり・・・みたいなことをするわけ。
そして、第二の理由として、同じ支店と言えど、いくつかの課で競わせることで、競争が生まれたり、自分たちのボスである課長に恥をかかせられないという義理人情?男気?が生まれることで、仕事に頑張れるという側面もあったように思う。
支店の中の営業員が30人近くいる中で、全員が全員とコミュニケーションを取ることは難しいわけですよ。そりゃー支店全員で忘年会とか飲み会とかってことも年に数回はありますけど、その会を通して会話したりするのって実は片手で数えられるくらいの人数だったりしません?
だから、密に連携が取れる5~7人くらいの集団を作って、各営業員は自身の所属する課という集団のベストパフォーマンスを叩き出す行動を取る・・・
そして各課が競い合うことで、課の集合体である支店の最大パフォーマンスを図る・・・
いやぁー実によくできた組織図だなぁーと、、、
だから、組織のパフォーマンスを最大化するために、部下を業務上において怒るということは必要悪であり、全然パワハラではないと思っているということは最初に言っておこうと思う。
そーそー証券会社というのは、結構異動が多い業種だと思うんだけど、私が最初の支店に4年半いた中において、支店長は頻繁に異動辞令があって、4人の支店長の下で働いた。
ほぼ1年に1回変わるようなペース、さすがに他の支店と比べると、早すぎると思われるんだけど、どんどんと支店長が変わる中でわかったこともあって、、、
『支店の業績が良いと支店長の異動は出にくい』
⇒これは何となくわかると思うんだけど、会社としても業績が伸びてるならば、体制を変えたくないわけで、逆に業績が悪いならば、これ以上悪くなることはないだろうと踏んで、容赦なくポンポン首をすげ替えるんだよね~
ということは、私が最初配属された支店が4年半で4人の支店長が替わっているという事実から、その支店の業績がどうだったかは予想はつくと思います・・・w
『武闘派支店長と技巧派支店長とがほぼ交互に来るw』
⇒もちろん、絶対こうなっているというわけではありませんが、この法則は大概の場合合致していますw
武闘派支店長というのが、極端に言えばヤクザみたいな、イカツイ感じの顔立ちだったり、部下に対して精神論だったりを中心にガンガン怒声をとばす感じの支店長で、技巧派支店長というのが、それのまったく逆で、顔立ちは涼しい感じの“THE 理系な顔立ち”だったりして、部下への指導が理屈をこねた感じの、インテリ系の支店長w
支店長はコロコロと替わるものの、全員に共通して言えるのは、どの支店長も私に対してバシバシした説教だったり、ねっとりした説教だったりと、説教の性格は違えど、全員から頻繁に怒られておりました(;´∀`)
今でも、思い出すのは、私は電話を使った営業をするのが好きだったんですが、「営業は足で稼ぐもんだ」という自身の営業論をもとに、「電話してないで外に出て営業して来い!!」って言われたこと。
自分もね、外回りでの営業に意味がないなんて思っていませんが、そこまで頭ごなしに電話での営業がダメと言われてしまうと、意固地になるタチなもので、反発して朝から晩まで電話にかじりついて電話しまくってやりましたわwww
おかげで、営業の新規顧客開拓件数が、平均的には月に3件くらいできれば十分だと思われる中で、毎月5件以上はやっていましたね。確かに外回りでの新規顧客開拓に比べると成約になる金額のロットが少なくなる感じではありましたけど・・・
それと、朝から晩まで、、、晩と言っても新入社員には残業を基本的にはさせないため、定時の時間までの業務時間8時間を使ってめいっぱい電話営業すると、平均して1日に350件電話できるということが分かりましたね。
※対象は支店周辺の個人宅、10コールして出なかったら次の電話先に電話するという個人ルール
何かあの時は、「この1日350件の法則は、同期の中でも知っているのはおれだけなんじゃないか!?」なんて思ったりして、ドキドキワクワクしていたのを思い出します・・・(^-^;
証券会社の新入社員って、自分が入社したところは、最初自身の担当の顧客がゼロからスタートするので、何かしらの方法で担当のお客さんを作ることがまず最初の仕事になって、年次が年を重ねていくにつれて、ノルマがかされてくるので、それまでに作った自身の担当のお客様でそれらのノルマをこなしていく・・・・そんな流れでしたね。
だから、入社後の1年目~2年目に太いお客さんを捕まえなければ、ノルマが大きくなっていった3年目辺りで、自身に課される数字に潰されて、退職を決断するって人が多かったですね。
ひとまず、入社すぐの時には同期の営業員の平均よりもは、若干良いくらいの営業成績をこなしていたように記憶している。だいたい上位30~40%くらいの辺りだったような?
そうそう、当然のように言ってるんですが、証券会社の営業員って数字至上主義の世界なんで、毎日のように自分の営業成績が何番のところにいるかが出てくるんですよ。
最初は、まぁー平均よりいいならば、それでいいかーなんて軽い気持ちで、日々同じくらい頑張って仕事していたと記憶しているんだけど、証券会社の営業成績って怖くって、同じくらいの頑張りで仕事していると、徐々に徐々に営業成績が下がっていくんですよ・・・(;^ω^)
なんでかわかりますか・・・??
日々日々、ノルマに潰されて、営業成績の下位の社員が退職していくからなんですよっ!!!ヽ(´Д`;)ノ
例えば、自分含めて10人同期がいて、自分が成績3番を取っていて、上位3割の営業員だったとしても、その後ノルマを苦に下位から5人の同期が辞めてしまったならば、上位3割だった自分が、平均的な営業マンに成り下がるわけですよっ!!!
恐ろしくないですかっ!!!?
サボっているわけでも無いのに・・・そして成績から下位5人の営業員が辞めると、当初平均よりもちょっぴり良い成績を出していた成績5番目の人間が最下層民になるわけですよ!!!
この会社のシステムどうかと思ったけどね~、しかももっと残酷なのは、営業成績がトップの人間は上司に気に入られて、退職する営業員がそれまで担当していたお客さんを与えられたりするんですよ・・・・
この仕組み理には叶っているけど、残酷極まりなくないですかっ!!?
まぁーそんな残酷なシステムのもと、入社当時は上位3割だった自分が、いつの間にか同期が半分以上いなくなって、入社4年半が経過するころには、同期の平均よりも若干悪いという営業成績になっていたように記憶しています。上位から数えて6割くらいの辺りだったか?
しかし、電話営業の件数を筆頭に、新規顧客開拓件数だけは、他の同期よりも明確に数字が良かったこともあり、入社後4年半が経過したときに、自分にふさわしい異動辞令が出ます。
それが、まだ開設して1年ほどしか経過していない、新設の支店への異動でした。
なぜ、出来たばかりの新設支店が自分に合っているかというと、新しい支店というのはそもそもその支店を使ってくれているお客さんが少ないわけで、メインの仕事が新しいお客さんを作ることだからです。
※逆を言えば、歴史のある大きい支店では、すでに利用してもらっている太いお客さんに、株を買ってもらったり売ってもらったり、投資信託を買ってもらったり売ってもらったりして、支店の収益をあげるのがメインの仕事で、新しいお客さんを作るという仕事は二の次である。
ここで認識を誤って欲しくないのが、私個人的には担当顧客をガンガン動かして収益を叩き出すことよりも、それまで接点のなかった方を自分をきっかけに、証券会社と取引してもらうことに仕事の楽しみを見出していたんですけど、、、
会社の雰囲気としては、新規顧客を獲得するよりも、担当顧客を稼働して収益を出すほうが好きな営業員がほとんどでしたね。
それはそうで、その方がドンくさくなくて、楽で、なおかつ自身の評価に繋がるからです。
私が日がな一日、電話しまくったり、外回りで飛び込み営業している間に、太い顧客を持った上司は、10分程度の電話で1億円単位の株の売買の成約を決めるだけで、数百万円相当のその日一日の稼ぐべき収益を上げて、仕事らしい仕事を終えてしまっているわけなんですw そりゃー誰しもが楽な方がいいからねー
だから、自分が行った新設支店は、(自分はそうは思わなかったけれど)ある意味では、左遷先のような場所だったんだと思います。
上記のような証券会社の風潮があるため、言うならば入社年次が浅い営業員社員が“新規顧客開拓”に励み、入社年次の長いベテラン社員が“既存顧客との取引で収益を稼ぐ”、、、っていう暗黙の社内風土があるなかで、新規顧客開拓は絶対的に必要ではあるものの泥臭い仕事で、日々営業成績の数字に追われている様な社内の中においては、すぐに成果が出ることがほぼないこともあり、敬遠される業務内容だったんでしょう。
証券会社は離職率が高いということは先にも記述しましたが、ここまでの説明を読んでいただいた方には理解してもらえると思うんですが、会社にとってはそこまで困ることはないんだと思うんですよ・・・
なぜならば、入社して新入社員に新規顧客開拓をさせて、ある程度お客様を作ってもらって、1~3年程度の勤続年数が経過したときに、その顧客数ではノルマを達成することが厳しいことで、退社をしてしまう・・・
しかし、会社にはその退職した社員が獲得した新規顧客という財産は残るわけで、その社員の退職後はもっと経験年数が長い、いうならばノルマ競争に振り落とされなかったベテラン社員が顧客を引き継いで、そこから収益をあげる・・・
会社としては、退社してくれることで営業成績不振の社員の給料分を払うことなく、顧客基盤の裾野が広がるわけなんで、一石二鳥なんだと思うんです。
まぁー、この考え方は元営業成績不振社員だった、おいらのうがった会社の味方ですけどもw(;^ω^)
それで話は戻って、自分が開設1年半経過した新設支店へ異動したことに話を戻しますけども、そこはちょうど私と同じくらいの年齢の入社年次が3~5年くらいの若手の営業社員が10人程度に、1人の営業課をまとめる50代課長と1人の50代の支店長。まぁー厳密に言うと、あと4名程度の非営業の窓口社員や事務社員がいるんですが、これからの私の話では関係無いので、10名の若手社員と2名の古参社員という状況ということだけ知っておいてください。
その新設店にいた若手の営業員は、正直なところ私も含め、異動前の支店において営業成績が優秀とは、お世辞にも言えない社員ばかりでした。
まぁー考えてみればそうですよね、顧客基盤を豊富にもっていてバンバン収益を稼ぐような社員であったらば、わざわざ異動させて顧客基盤ゼロから再スタートさせるような辞令は出すわけないですよね?
しかも、支店自体が新設支店で顧客基盤がゼロからスタートなので、すぐに収益をたたき出せる状況では無いことは会社もわかっているので、私がその支店にいった当時は日々の営業成績をとやかく言われる状況ではなかったんです。
異動前の支店では、もう入社4年目を迎えていたこともあり、毎日・毎週・毎月の過酷なノルマがあり、上司からは毎日どやされながら仕事をしていたので、そういった意味でも、ノルマがまだ免除されている新設支店はこの世の天国ではないか?という心境でしたヽ(・∀・)ノ
しかし、、、現実はそう甘いものではなく、良い状況は長くは続きません、、、
その新設支店に私が異動した半年後に新しい支店長が来るのです・・・
冒頭で過去の日記をコピペしましたが、そこでの過酷なパワハラは全てはこの新しい支店長から受けたものです・・・・
その支店長のことは、仮にM支店長として書く事にしておきましょう。
M支店長は、50代前半くらいで、営業員として過酷なノルマ競争を勝ち抜いてきた結果、初めて支店長という管理職に就任することが決定された方でした。
支店長1年生として、出世欲の強かったM支店長にとっては、会社の上層部に気に入られるために、非常に気負いをしていたてらいがありました。
そんなタイミングで、運の悪いことに、私の新設支店にノルマという数字の枷が課されるようになったんです・・・(;゚д゚)ゴクリ
ちょうど私が異動して半年経過したときに、支店丸2年を迎え、バリバリの営業員上がりの出世欲の強い支店長1年目の気負ったM支店長と、そろそろ稼いでくれよということで会社から課されるノルマが同時に来る・・・
今思い出しても、胸糞悪くなるくらいの“正真正銘の地獄絵図”が始まります・・・
まず、開設2年間が経過した時点の支店の顧客基盤の状況ですが、当初会社が想定した以上にまだまだ顧客基盤が確立しておりませんでした。
ちょうど、その当時は株価がリーマンショック後の安値から回復してきた時で、これから日本経済は回復していくだろう・・・という機運が徐々に感じ始めたときだったように思います。そういった状況で、会社はこのタイミングでこそ新しい支店を作って、さらなる飛躍をしてやろう!という考えだったんだと思うんですが、場所はここであえて出しませんが、都心からだいぶ離れた中途半端に栄えている場所で、それまで都心中心にしか支店を出していない会社の甘い見積もりがあったように思います。
支店開設当初は、その某市はこれからどんどんと開発がされていく!!という会社の見通しをもとに、開設されたそうなんですが、開設2年経過した時点では大きなタワーマンションが1棟たったくらいで、企業等がどんどんと入ってくるとか、新居がどんどんと建てられて人がどんどん移り住んでくる、、、そういった当初の見通しとはかけ離れた状況でした。
まぁー大きな組織において、たかが支店1つが予定通りになっていないことなぞ、些細なことなんでしょう・・・開設から2年経過した時点で、容赦なくノルマがやってきます。
そりゃーもう、状況は散々な状況で、私がいた支店では脆弱な顧客基盤から支店として求められる営業成績を出すことができずに、社内の支店順位としても下位の方に位置することになります。もちろん、営業員もほとんど多くの人間が、社内の成績順位で下位に位置することになりました。
支店長に初めて就任したM支店長としては、この状況を打開するために、どう考えたと思いますか?
それが、上層部への言い訳を作るという姑息な手段でした。
自分は精一杯部下社員を指導しているものの、社員の能力が低いから支店として課された数字をこなすことが到底できない。。。
そうやって、自身の出世コースへの悪影響を最小限にするように、保身のための行動を取ったのです。
そこでのM支店長のパワハラぶりを、冒頭に貼り付けた日記に書きなぐったわけなんですが、ここでさらに胸糞悪いのが、M支店長は自分以下の11人の営業員全員にパワハラをしたわけでは無いんです。
営業課をまとめる課長と、10人いる若手営業員の中で唯一営業成績が優秀だった社員を優遇し、他の社員を冷遇するという行動に出ます。
上層部から「なんで君の支店は成績が悪いんだ?」と聞かれたらば、「部下の能力が低いからです」という理由だけでは支店長として、「私は無能です」と言っているようなものですから、「私の優れた指導の下、2人の優秀な営業員が育てることができたんですが、それ以外の社員は私の優れた指導をもってしても優秀になることができないクズ社員だったんです。」という自分の立場を守りつつの理由を言うようになったのです。
私含め、9人のクズ社員とレッテルを貼られた社員の中でも、その中で入社年数が私よりも2年長いT先輩が、1番M支店長からのパワハラの矢面に立たされていました。
M支店長「1番経験年数が長いお前がこんな数字だから、部下社員がやる気ださねーんだろがっ!!! ふざけてんじゃねーーぞ!!!」
T先輩「はい、すいません、、、申し訳ありません、、、、、」
こんなやりとりが毎日毎日、長時間にわたって、、支店では行われていました。
そして、あるときT先輩の限界がやってきます・・・・
毎日の過度なパワハラにより、T先輩がうつ病になってしまい、休職となり会社に来なくなってしまったのです。
それを反省して、その後M支店長はおとなしくなりました・・・
・・・となれば、こんな備忘録を書くこともなかったんでしょうが、、、
そんなこともなく、ただM支店長のパワハラの矛先が私に変わっただけでした・・・
9人のパワハラを受けていた社員の中でも、私だけは支店開設後1年半後に異動してきた社員で、それ以外は開設当初からのメンバー、、、
それまでに開設した新規顧客基盤が、圧倒的に自分が少なかったのです、異動してきたタイミングが遅いから、他の社員よりも顧客基盤が少ない、、、
M支店長がそんなことを配慮してくれるような人間では無いことは、これまで読んできた皆さんなら理解してくれると思います。
M支店長から、
顧客基盤が少ない⇒営業能力が乏しい、、、
営業能力が乏しい⇒支店の成績が悪くなる、、、
支店の成績が悪いのは、クズ社員9名がいるからだが、そのクズの筆頭がミートボウズだっ!!
どうやら当時、こういう理屈がM支店長の中では出来上がったようなのです、、、(;・∀・)
それからの日々は今思い出しても、怨恨の念が湧いてきます・・・
M支店長「なんでお前なんて人間が、うちの会社に入社できたんだっ!?」
M支店長「お前が仕事できないから、他の社員が迷惑してんだっ!!みんなに土下座して謝れぇ!!」
⇒プライドなんていくらでもくれてやります、営業フロアで土下座して「仕事ができなくて申し訳ございません。迷惑かけて申し訳ありません。」とやってやりましたよ。他の営業員がそりゃー居心地悪そうな、かつ私を憐れむような、複雑な表情で、ものすごく仕事しにくそうな顔をしていたのを今でも忘れません。
M支店長「そんな髪型してっから、仕事ができないんだ!!!」
⇒次の日から支店長の言うとおりの髪型(オールバック)にして出社することになりました。
M支店長「そんな、ちゃっちーー腕時計しているから、仕事ができないんだ!!!」
⇒むかついて、M支店長がつけている腕時計よりも、高価な腕時計を購入したら、この説教は無くなりました。今つけているグランドセイコーの腕時計は、そんな切ないエピソードがあります。
M支店長「お前みたいな人間と結婚する嫁の気持ちが想像できない、聞きたいから会社に嫁連れてこい!!そしておれに説明してくれっ!!」
M支店長「数字ができないなら、お前が持っている資産投げ打って、それで買えっ!!!自分で販売できないなら、それが当然の行為だろっ!! それができなければお前は給料泥棒だっ!!!」
⇒実際に自身のお金を150万円くらいだったか?投資信託を買うためにぶっこみました。M支店長としては後になって、“上司が強制して投資信託を買わせた”という揺るがぬ証拠になってしまうのを避けるため、私が投資信託を購入した事実を知った後は、「おれは強要はしていない、営業員たるもの自分自身で投資商品を購入するのが当たり前だから、お前は買ったまでだろ?」と態度を180度変更したことが、まぁーむかつくことこの上なかったな。
M支店長「オメーを育てた親に腹が立ってきた!! 田舎から親連れて来いやぁー オメーみたいな人間を育てた親に説教してやるわぁっ!!!」
・・・まぁーこんな感じ、これが1日30分×2セットで、毎日1時間は説教の時間があるって感じだったかなぁ~
本当に、マジもんで、、、一切誇張表現無しですこれ。
朝に30分説教聞かされて、仕事のモチベーションダダ下がりで一日がスタートして、夕方業務時間終了後に超勤時間をつけられるわけでもなくさらに30分、毎日毎日、時間も身体も精神もがっつり拘束されておりました。
それと、私が何か気に入らないことや、業務上のミス等をした場合は、執拗に原因を追究されて、M支店長しか見ることのない「謎の始末書」を書くように命令をくだされて、何度も内容を書き直しを要求されて、どれだけ自分が悪いことをしているのか、どれだけ自分が無能なのかを、言葉だけでなく文章として記述することを強制されました。
もうね、とやかく言われる内容も、自身のことだけでなく、嫁や両親のことに派生したり、、、、説教で毎日1時間、始末書の記入&校正で2時間近く仕事の時間を割かれる、、、、
今でも強く思う・・・
頼むから、おれに一生懸命仕事をさせてくれっ!!!
皮肉なもので、あのときの経験があったことで、今の自分は仕事が大好きな人間になりましたw
仕事ができるという状況が、こんなに嬉しいものだとは思ってもいませんでしたw
自分はうつ病になることはなかったものの、毎日毎日会社から自宅に帰ってからというもの、「もうこうなったならば、、、あいつを殺すしかない、、、この状況を打破するにはその方法しかない、、、」と、今思えばとんでもない思考を繰り返していました。
けれど、毎回その思考を繰り返すたびに、M支店長を殺めたところで、私自身が犯罪者になって、田舎に住む両親や、私の嫁やこれから生まれてくる私の子どもが、“犯罪者の家族”というレッテルを貼られてしまい被害を被るのは、それこそM支店長からの被害を受ける対象が私一人から、ただただ私以外の家族全体に拡散するだけで、「そんなことは御免こうむる!!」って思いとどまっていたんですけどね。
それでも、M支店長から1時間近く立たされた状況で、罵詈雑言を浴びせられ続けられる中で、何度も何度も思ったことがあります・・・
そんだけ言うならば、、、
それだけおれが邪魔ならば、、、
その気持ちを行動に実際に表せと、、、
単刀直入に言って、、、、
「はよ、おれに暴力をふるえ!!!」と・・・
M支店長はどんだけ自分に罵詈雑言を浴びせ、その場で地団駄を踏んだり、デスクをバンバン叩くことはあれど、決して手を挙げることは無かったんです。
「いやー、それは不幸中の幸いだね」って言われたいわけじゃないんですよ、むしろ逆で、最悪この上ないんですわ!!!
私としては、早いところ“正当防衛”という名目を獲得した上で、暴力での報復を夢見ていたんです・・・
いやぁー今思い出しても、本当に悔しい・・・やり返してやりたかった・・・
その当時MTGで土日遊んでた友人たちはこれを読んだところで、きっと、「そんなの嘘だろ、土日超楽しそうにしてたじゃん!!」って思うと思うんですが、これは本当の本当です。
※そんな状況下でも、会社としては土日が休みなわけで、その限られた週末をMTGで精一杯楽しみたかったこと、そしてそんな状況下においてもMTGが超絶楽しかったのも事実です。もしかしたらMTGがあったからこそ、今の自分が殺人者にならなかったのかもしれません・・・改めてMTGに感謝です。
まぁー、そんな状況に陥って、初めて「殺人者になるくらいだったら、仕事を辞めた方が何倍もマシじゃん」という至ってフツーの結論を出すことができたんですけどね。
M支店長に辞める事を告げると、ひとまずパワハラは終わりましたね・・・
私へのは
どうなったかは、詳細にここに書かずとも、ここまで読んできてくれた方には想像できると思います・・・
当時相当ショックでしたね、「結局、自分がいなくなっても、誰かが生贄になるだけなんだ」と、分かったことが。
それですぐさま会社のパワハラ相談窓口に電話して、それまでのM支店長の残酷な言動をすべて伝えました。
その後、私が会社を去った後ですが、本部の人間が支店へやってきてM支店長やその他の営業員に聞き込みを行い、すぐにM支店長は実質後格となる異動辞令が出されて飛ばされたとのことです。
今もしも、タイムマシーンがあって、あの時の自分と会うことが出来るならば、こう伝えてやりたい。
「お前は全然悪くないよ」、、、って
M支店長のパワハラが理不尽で、許されざることだとは、その当時だって、よくよーく十二分に理解していたつもりだったけど、この状況はある意味では、仕事の出来ていない自分のせいでもある、という心の負い目があったことは事実です。
だからこそ、社内にパワハラ相談窓口があることを知りながらも、辞めるということを決断して、他の社員へM支店長のパワハラの矛先が移る瞬間まで、社内の内部通報をためらってしまいました。
もっと早い段階で、躊躇なく社内の内部通報をするべきでした・・・
今振り返れば、T先輩がうつ病で休職をしてしまう前に、M支店長の横暴を内部通報するべきでした。
今回のパワハラ防止法により、明確にパワハラが定義されたことで、この時の私のような状況に陥った方が、「だけど自分も確かに悪い部分があるから・・・」なんて思って、パワハラを前に泣き寝入りしてしまうことが少しでも少なくなれば良いと思っています。
こうやって長々と文章にすることで、もしかしたら、あの時の自分のような境遇の人間が、一人でもこの文章に行き着いて読んでもらい、励まされることで、自身の目の前のパワハラを前に「さすがに、それはおかしい」と、堂々と言ってもらうことに繋がればと思い、書いてみました。
そーそー、それと退職を決断するときには、「もう結婚もしてるし、自分が辞めることで家族を養っていけなくなるから、仕事を辞めるわけにはいかないだろう」という思いもありました。
自分の場合の話ではありますが、年収としては前職よりもグッと下がったのは事実ですが、それ以上に仕事で感じるストレスが格段に下がったことで、今は仕事辞めて正解だったと心底思っています。
※収入は3~4割減になりましたが、都心から地方へ移ったことで、家賃や物価下がったことや、通勤ラッシュ等でもみくちゃになることも無くなり、何より仕事での感じるストレスが一兆倍薄まったため、完全にトータルではプラスに転じたと思っています。
そして、振り返れば、今回書きなぐったような、ただただツライ現実が思い出されるわけですが、この経験をきっかけに、仕事において自分なりに仕事しやすい環境を作りたい、、、自分自身含め、同じ職場の人間にも気持ちよく仕事をしてもらいたいと真剣に思えるようになり、現在どこまで出来ているかわかりませんが、日々意識して取り組むことができています。
今現在の職場では、非常に小規模ながらも、自分自身の部下もいる状況であり、そんなことはまずないであろうが、もし万が一にも将来M支店長に出会うことがあったときに、胸をはって「今の自分は真っ当な仕事をしている」と伝えられるような仕事ぶりをしていきたいと強く思っている。
いやー、とまぁーそんな感じなんだけど、今回はまれに見る長文となってしまった(;^ω^)
ここまでもし全部読んでくれた方がいれば、ただただ感情に任せて殴り書いた駄文に最後までお付き合いいただいたことに感謝の意を申し伝えたい。
そして願わくば、あなたの職場に過去の自分のような人間がいたときには、見て見ぬふりをするのではなく、パワハラ上司の横暴を社内のしかるべき部署に通報してもらいたい。
しかし、通報者が自分とわかって被害をこうむるのが嫌だからそれはしたくないという人も多いとも思う、それは決して卑下されることではない・・・
しかし、それが出来なかったとしても、百歩譲ってその社員を励ましてやってほしい、「きみは悪くないよ」でも、「(上司の言動が) あれはさすがにやりすぎだよなっ」とか、なんでもいいと思う、1人でも味方がいるってことが本当にその人間の大きな支えになるから。
よろしくお願いします ♪d(*’-^*)b♪
今回はそんな感じでーーーす
ではでは(´∀`*)ノシ バイバイ
パワハラ防止法成立。早ければ大企業には2020年4月から社内のパワハラ対策義務化が課される・・・
みたいなやつです。
とりあえず、簡単に言うと・・・
社内でパワハラが起こったら、会社の責任になるんで、会社がパワハラを防止するように取り組みをしていってください。
ってことと・・・
そもそもこれまでは、パワハラというものの定義自体が曖昧だったものをこの条文内において、、、
パワハラとは「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動」と言った定義付けがされた
しかし、この法律自体に罰則規則がついているわけではないので、ザル法だという批判もあるようだ・・・
けれど、この法律の成立に伴って、少しでも人権無視のヤバイ上司が減ってくれる機運になるならば良いことだと思う。
私もかつて前職でとんでもないパワハラ上司の下で働いていたことがあり、退職してから5ヶ月経過したときに、思いの丈をこれでもかっ!!と言わんばかりにタイピングした記事を書いたことがあったけど、、、
( ’ω’o[※長文注意w]o【前職から退職後約5ヶ月間が経過】 “《怨恨/Rancor》って墓地に落ちても、戻ってくる・・・それがどういう意味かをここに記載しておいてもいいのじゃないかな??” の巻
↓↓↓↓↓
https://meatbouzu.diarynote.jp/201502152318418659/
ほぼ丸5年経過した現時点で、落ち着いた状態で記事にすることで、自分の中でのさらに気持ちの整理ができることだったり、現時点でパワハラを受けている人間の励みだったり、慰めになったりしてくれるかも・・・?なんて気になったので書いていこうと思う。
けれど、自分がパワハラを受けた部分ばかりを強調して書くのも、退職して結構な年月が経過する中でことさらに強調するのもどうかと思うので、私が前職の会社に就職してから、退職するまでの一連の流れを思い出とともにツラツラと書いていこうと思う・・・
言っとくけど、きっとめっさ長くなるから、覚悟して読んで欲しいwww
まず私がかつて勤務していたのは、某証券会社の営業職だ。
大学卒業後に、その当時景気が良かったことだったり、自分が経済学部に通っていたことだったりしたことで、何となく金融業を中心に就職活動をしていって、その結果内定をもらった会社の中で、1番の大手の会社であるその証券会社に就職を決めた。
今、こうやってタイピングをしていても、気づかされるが・・・
ほんと “何となく” で就職した会社なのだ。
だって、大学2年生の後半になって、周りが「そろそろ就職活動しなくちゃ・・・」という雰囲気になってきて、「じゃあオレも・・・」くらいのかるい気持ちで腰を上げて就職活動していって、そんな中で漠然と「この会社とかいいのかなぁ~?」とかって思って、一度もその会社で働くことなく、筆記試験受けて、その後に面接を何度か受けて、内定もらって、、、就職を決める、、、
まぁー自分だけじゃなくて、周囲の人間もそうやって就職がきまっていることを見ると、何も疑問を持つことなく就職が決まってしまったわけですよ。
けどね、さすがに事前の予習は多少していて、証券会社の営業職はつらいことだったり、入社後3年で離職率が30%以上あるんだよ~みたいな情報は知った上で入社は決めたんですよ。
まぁーもちろん、その時の自分は、「自分はこれまで、ずーっとスポーツをしていたこともあったし、体力的にもメゲることはないだろう~」とか、離職率30%だったところで、きっと自分は残りの70%に入るだろう~とかっていう不思議な自信があったことも朧げながらに覚えている。
でもって、もったいぶらずに結論から書くと、やはり証券会社の営業職と言えど、体力的にきついと感じることは無かったし、入社後3年以内に辞めることもなかった。正確に言えば入社後7年半勤務した後に、退職することになった。
それで本題の“パワハラ”に関してだが、証券会社の営業職はノルマがきつくて、それを達成させるために上司のパワハラがすごいというのも入社前から噂では知っていて、怖いもの見たさみたいな感覚も入社当社はあったように思う。
ドラマであった『半沢直樹』みたいなところがやっぱりあって(※あれは証券会社じゃなくて銀行だけど)、営業員がいるフロアでは、上司である支店長が営業成績をあげるために、いつもいつも営業員に対して罵声や怒声を上げたり、机をバンバン叩いたりする風潮が間違いなくあった。
そう聞いただけで、「すごいブラック企業じゃん・・・」って思う人もいるかもしれないけれど、自分は体験はしてないまでも、そういったことはあるということは知った上で入社していたこともあって、結構違和感なく仕事をすることが出来ていた。
むしろ会社に慣れていくにつれ、支店長の怒り方が理にかなっているものなんだとも思い始めていた・・・
例えば、私が最初に配属された支店では、営業課が4つのグループに分かれていて、その1つのグループがだいたい5~7名前後で構成されているのだが、支店の営業成績が伸び悩んでくると、支店長は全営業員に対して罵声・怒声を上げるのではなく、その営業課であるチームのトップの課長たちだけを支店長室に集めて、その中で怒るのだ。
そして、喝を入れられた課長たちが、営業員がいる営業フロアに戻ってきて、課員たちに指示を出していく・・・
実に良くできた指示系統だと思わないだろうか??
まず第一に、同じ営業を生業としている営業員と言えど、一人一人の性格や得意不得意があるので、支店長が逐一営業員一人一人に個別に指示を出すことは時間的にも到底無理なのだ、だから支店長は“いつまでに何をいくらやるのか?”を速やかに課長連中に浸透させて、それを踏まえて課長が課員の個性に合わせて最大限のパフォーマンスをあげることができるように具体的な指示を出すのだ。
例えば、今週末にAを1000万、Bを500万、Cを300万売らないといけない場合は、Aの販売の得意な営業員に多めに目標を持たせたり・・・みたいなことをするわけ。
そして、第二の理由として、同じ支店と言えど、いくつかの課で競わせることで、競争が生まれたり、自分たちのボスである課長に恥をかかせられないという義理人情?男気?が生まれることで、仕事に頑張れるという側面もあったように思う。
支店の中の営業員が30人近くいる中で、全員が全員とコミュニケーションを取ることは難しいわけですよ。そりゃー支店全員で忘年会とか飲み会とかってことも年に数回はありますけど、その会を通して会話したりするのって実は片手で数えられるくらいの人数だったりしません?
だから、密に連携が取れる5~7人くらいの集団を作って、各営業員は自身の所属する課という集団のベストパフォーマンスを叩き出す行動を取る・・・
そして各課が競い合うことで、課の集合体である支店の最大パフォーマンスを図る・・・
いやぁー実によくできた組織図だなぁーと、、、
だから、組織のパフォーマンスを最大化するために、部下を業務上において怒るということは必要悪であり、全然パワハラではないと思っているということは最初に言っておこうと思う。
そーそー証券会社というのは、結構異動が多い業種だと思うんだけど、私が最初の支店に4年半いた中において、支店長は頻繁に異動辞令があって、4人の支店長の下で働いた。
ほぼ1年に1回変わるようなペース、さすがに他の支店と比べると、早すぎると思われるんだけど、どんどんと支店長が変わる中でわかったこともあって、、、
『支店の業績が良いと支店長の異動は出にくい』
⇒これは何となくわかると思うんだけど、会社としても業績が伸びてるならば、体制を変えたくないわけで、逆に業績が悪いならば、これ以上悪くなることはないだろうと踏んで、容赦なくポンポン首をすげ替えるんだよね~
ということは、私が最初配属された支店が4年半で4人の支店長が替わっているという事実から、その支店の業績がどうだったかは予想はつくと思います・・・w
『武闘派支店長と技巧派支店長とがほぼ交互に来るw』
⇒もちろん、絶対こうなっているというわけではありませんが、この法則は大概の場合合致していますw
武闘派支店長というのが、極端に言えばヤクザみたいな、イカツイ感じの顔立ちだったり、部下に対して精神論だったりを中心にガンガン怒声をとばす感じの支店長で、技巧派支店長というのが、それのまったく逆で、顔立ちは涼しい感じの“THE 理系な顔立ち”だったりして、部下への指導が理屈をこねた感じの、インテリ系の支店長w
支店長はコロコロと替わるものの、全員に共通して言えるのは、どの支店長も私に対してバシバシした説教だったり、ねっとりした説教だったりと、説教の性格は違えど、全員から頻繁に怒られておりました(;´∀`)
今でも、思い出すのは、私は電話を使った営業をするのが好きだったんですが、「営業は足で稼ぐもんだ」という自身の営業論をもとに、「電話してないで外に出て営業して来い!!」って言われたこと。
自分もね、外回りでの営業に意味がないなんて思っていませんが、そこまで頭ごなしに電話での営業がダメと言われてしまうと、意固地になるタチなもので、反発して朝から晩まで電話にかじりついて電話しまくってやりましたわwww
おかげで、営業の新規顧客開拓件数が、平均的には月に3件くらいできれば十分だと思われる中で、毎月5件以上はやっていましたね。確かに外回りでの新規顧客開拓に比べると成約になる金額のロットが少なくなる感じではありましたけど・・・
それと、朝から晩まで、、、晩と言っても新入社員には残業を基本的にはさせないため、定時の時間までの業務時間8時間を使ってめいっぱい電話営業すると、平均して1日に350件電話できるということが分かりましたね。
※対象は支店周辺の個人宅、10コールして出なかったら次の電話先に電話するという個人ルール
何かあの時は、「この1日350件の法則は、同期の中でも知っているのはおれだけなんじゃないか!?」なんて思ったりして、ドキドキワクワクしていたのを思い出します・・・(^-^;
証券会社の新入社員って、自分が入社したところは、最初自身の担当の顧客がゼロからスタートするので、何かしらの方法で担当のお客さんを作ることがまず最初の仕事になって、年次が年を重ねていくにつれて、ノルマがかされてくるので、それまでに作った自身の担当のお客様でそれらのノルマをこなしていく・・・・そんな流れでしたね。
だから、入社後の1年目~2年目に太いお客さんを捕まえなければ、ノルマが大きくなっていった3年目辺りで、自身に課される数字に潰されて、退職を決断するって人が多かったですね。
ひとまず、入社すぐの時には同期の営業員の平均よりもは、若干良いくらいの営業成績をこなしていたように記憶している。だいたい上位30~40%くらいの辺りだったような?
そうそう、当然のように言ってるんですが、証券会社の営業員って数字至上主義の世界なんで、毎日のように自分の営業成績が何番のところにいるかが出てくるんですよ。
最初は、まぁー平均よりいいならば、それでいいかーなんて軽い気持ちで、日々同じくらい頑張って仕事していたと記憶しているんだけど、証券会社の営業成績って怖くって、同じくらいの頑張りで仕事していると、徐々に徐々に営業成績が下がっていくんですよ・・・(;^ω^)
なんでかわかりますか・・・??
日々日々、ノルマに潰されて、営業成績の下位の社員が退職していくからなんですよっ!!!ヽ(´Д`;)ノ
例えば、自分含めて10人同期がいて、自分が成績3番を取っていて、上位3割の営業員だったとしても、その後ノルマを苦に下位から5人の同期が辞めてしまったならば、上位3割だった自分が、平均的な営業マンに成り下がるわけですよっ!!!
恐ろしくないですかっ!!!?
サボっているわけでも無いのに・・・そして成績から下位5人の営業員が辞めると、当初平均よりもちょっぴり良い成績を出していた成績5番目の人間が最下層民になるわけですよ!!!
この会社のシステムどうかと思ったけどね~、しかももっと残酷なのは、営業成績がトップの人間は上司に気に入られて、退職する営業員がそれまで担当していたお客さんを与えられたりするんですよ・・・・
この仕組み理には叶っているけど、残酷極まりなくないですかっ!!?
まぁーそんな残酷なシステムのもと、入社当時は上位3割だった自分が、いつの間にか同期が半分以上いなくなって、入社4年半が経過するころには、同期の平均よりも若干悪いという営業成績になっていたように記憶しています。上位から数えて6割くらいの辺りだったか?
しかし、電話営業の件数を筆頭に、新規顧客開拓件数だけは、他の同期よりも明確に数字が良かったこともあり、入社後4年半が経過したときに、自分にふさわしい異動辞令が出ます。
それが、まだ開設して1年ほどしか経過していない、新設の支店への異動でした。
なぜ、出来たばかりの新設支店が自分に合っているかというと、新しい支店というのはそもそもその支店を使ってくれているお客さんが少ないわけで、メインの仕事が新しいお客さんを作ることだからです。
※逆を言えば、歴史のある大きい支店では、すでに利用してもらっている太いお客さんに、株を買ってもらったり売ってもらったり、投資信託を買ってもらったり売ってもらったりして、支店の収益をあげるのがメインの仕事で、新しいお客さんを作るという仕事は二の次である。
ここで認識を誤って欲しくないのが、私個人的には担当顧客をガンガン動かして収益を叩き出すことよりも、それまで接点のなかった方を自分をきっかけに、証券会社と取引してもらうことに仕事の楽しみを見出していたんですけど、、、
会社の雰囲気としては、新規顧客を獲得するよりも、担当顧客を稼働して収益を出すほうが好きな営業員がほとんどでしたね。
それはそうで、その方がドンくさくなくて、楽で、なおかつ自身の評価に繋がるからです。
私が日がな一日、電話しまくったり、外回りで飛び込み営業している間に、太い顧客を持った上司は、10分程度の電話で1億円単位の株の売買の成約を決めるだけで、数百万円相当のその日一日の稼ぐべき収益を上げて、仕事らしい仕事を終えてしまっているわけなんですw そりゃー誰しもが楽な方がいいからねー
だから、自分が行った新設支店は、(自分はそうは思わなかったけれど)ある意味では、左遷先のような場所だったんだと思います。
上記のような証券会社の風潮があるため、言うならば入社年次が浅い営業員社員が“新規顧客開拓”に励み、入社年次の長いベテラン社員が“既存顧客との取引で収益を稼ぐ”、、、っていう暗黙の社内風土があるなかで、新規顧客開拓は絶対的に必要ではあるものの泥臭い仕事で、日々営業成績の数字に追われている様な社内の中においては、すぐに成果が出ることがほぼないこともあり、敬遠される業務内容だったんでしょう。
証券会社は離職率が高いということは先にも記述しましたが、ここまでの説明を読んでいただいた方には理解してもらえると思うんですが、会社にとってはそこまで困ることはないんだと思うんですよ・・・
なぜならば、入社して新入社員に新規顧客開拓をさせて、ある程度お客様を作ってもらって、1~3年程度の勤続年数が経過したときに、その顧客数ではノルマを達成することが厳しいことで、退社をしてしまう・・・
しかし、会社にはその退職した社員が獲得した新規顧客という財産は残るわけで、その社員の退職後はもっと経験年数が長い、いうならばノルマ競争に振り落とされなかったベテラン社員が顧客を引き継いで、そこから収益をあげる・・・
会社としては、退社してくれることで営業成績不振の社員の給料分を払うことなく、顧客基盤の裾野が広がるわけなんで、一石二鳥なんだと思うんです。
まぁー、この考え方は元営業成績不振社員だった、おいらのうがった会社の味方ですけどもw(;^ω^)
それで話は戻って、自分が開設1年半経過した新設支店へ異動したことに話を戻しますけども、そこはちょうど私と同じくらいの年齢の入社年次が3~5年くらいの若手の営業社員が10人程度に、1人の営業課をまとめる50代課長と1人の50代の支店長。まぁー厳密に言うと、あと4名程度の非営業の窓口社員や事務社員がいるんですが、これからの私の話では関係無いので、10名の若手社員と2名の古参社員という状況ということだけ知っておいてください。
その新設店にいた若手の営業員は、正直なところ私も含め、異動前の支店において営業成績が優秀とは、お世辞にも言えない社員ばかりでした。
まぁー考えてみればそうですよね、顧客基盤を豊富にもっていてバンバン収益を稼ぐような社員であったらば、わざわざ異動させて顧客基盤ゼロから再スタートさせるような辞令は出すわけないですよね?
しかも、支店自体が新設支店で顧客基盤がゼロからスタートなので、すぐに収益をたたき出せる状況では無いことは会社もわかっているので、私がその支店にいった当時は日々の営業成績をとやかく言われる状況ではなかったんです。
異動前の支店では、もう入社4年目を迎えていたこともあり、毎日・毎週・毎月の過酷なノルマがあり、上司からは毎日どやされながら仕事をしていたので、そういった意味でも、ノルマがまだ免除されている新設支店はこの世の天国ではないか?という心境でしたヽ(・∀・)ノ
しかし、、、現実はそう甘いものではなく、良い状況は長くは続きません、、、
その新設支店に私が異動した半年後に新しい支店長が来るのです・・・
冒頭で過去の日記をコピペしましたが、そこでの過酷なパワハラは全てはこの新しい支店長から受けたものです・・・・
その支店長のことは、仮にM支店長として書く事にしておきましょう。
M支店長は、50代前半くらいで、営業員として過酷なノルマ競争を勝ち抜いてきた結果、初めて支店長という管理職に就任することが決定された方でした。
支店長1年生として、出世欲の強かったM支店長にとっては、会社の上層部に気に入られるために、非常に気負いをしていたてらいがありました。
そんなタイミングで、運の悪いことに、私の新設支店にノルマという数字の枷が課されるようになったんです・・・(;゚д゚)ゴクリ
ちょうど私が異動して半年経過したときに、支店丸2年を迎え、バリバリの営業員上がりの出世欲の強い支店長1年目の気負ったM支店長と、そろそろ稼いでくれよということで会社から課されるノルマが同時に来る・・・
今思い出しても、胸糞悪くなるくらいの“正真正銘の地獄絵図”が始まります・・・
まず、開設2年間が経過した時点の支店の顧客基盤の状況ですが、当初会社が想定した以上にまだまだ顧客基盤が確立しておりませんでした。
ちょうど、その当時は株価がリーマンショック後の安値から回復してきた時で、これから日本経済は回復していくだろう・・・という機運が徐々に感じ始めたときだったように思います。そういった状況で、会社はこのタイミングでこそ新しい支店を作って、さらなる飛躍をしてやろう!という考えだったんだと思うんですが、場所はここであえて出しませんが、都心からだいぶ離れた中途半端に栄えている場所で、それまで都心中心にしか支店を出していない会社の甘い見積もりがあったように思います。
支店開設当初は、その某市はこれからどんどんと開発がされていく!!という会社の見通しをもとに、開設されたそうなんですが、開設2年経過した時点では大きなタワーマンションが1棟たったくらいで、企業等がどんどんと入ってくるとか、新居がどんどんと建てられて人がどんどん移り住んでくる、、、そういった当初の見通しとはかけ離れた状況でした。
まぁー大きな組織において、たかが支店1つが予定通りになっていないことなぞ、些細なことなんでしょう・・・開設から2年経過した時点で、容赦なくノルマがやってきます。
そりゃーもう、状況は散々な状況で、私がいた支店では脆弱な顧客基盤から支店として求められる営業成績を出すことができずに、社内の支店順位としても下位の方に位置することになります。もちろん、営業員もほとんど多くの人間が、社内の成績順位で下位に位置することになりました。
支店長に初めて就任したM支店長としては、この状況を打開するために、どう考えたと思いますか?
それが、上層部への言い訳を作るという姑息な手段でした。
自分は精一杯部下社員を指導しているものの、社員の能力が低いから支店として課された数字をこなすことが到底できない。。。
そうやって、自身の出世コースへの悪影響を最小限にするように、保身のための行動を取ったのです。
そこでのM支店長のパワハラぶりを、冒頭に貼り付けた日記に書きなぐったわけなんですが、ここでさらに胸糞悪いのが、M支店長は自分以下の11人の営業員全員にパワハラをしたわけでは無いんです。
営業課をまとめる課長と、10人いる若手営業員の中で唯一営業成績が優秀だった社員を優遇し、他の社員を冷遇するという行動に出ます。
上層部から「なんで君の支店は成績が悪いんだ?」と聞かれたらば、「部下の能力が低いからです」という理由だけでは支店長として、「私は無能です」と言っているようなものですから、「私の優れた指導の下、2人の優秀な営業員が育てることができたんですが、それ以外の社員は私の優れた指導をもってしても優秀になることができないクズ社員だったんです。」という自分の立場を守りつつの理由を言うようになったのです。
私含め、9人のクズ社員とレッテルを貼られた社員の中でも、その中で入社年数が私よりも2年長いT先輩が、1番M支店長からのパワハラの矢面に立たされていました。
M支店長「1番経験年数が長いお前がこんな数字だから、部下社員がやる気ださねーんだろがっ!!! ふざけてんじゃねーーぞ!!!」
T先輩「はい、すいません、、、申し訳ありません、、、、、」
こんなやりとりが毎日毎日、長時間にわたって、、支店では行われていました。
そして、あるときT先輩の限界がやってきます・・・・
毎日の過度なパワハラにより、T先輩がうつ病になってしまい、休職となり会社に来なくなってしまったのです。
それを反省して、その後M支店長はおとなしくなりました・・・
・・・となれば、こんな備忘録を書くこともなかったんでしょうが、、、
そんなこともなく、ただM支店長のパワハラの矛先が私に変わっただけでした・・・
9人のパワハラを受けていた社員の中でも、私だけは支店開設後1年半後に異動してきた社員で、それ以外は開設当初からのメンバー、、、
それまでに開設した新規顧客基盤が、圧倒的に自分が少なかったのです、異動してきたタイミングが遅いから、他の社員よりも顧客基盤が少ない、、、
M支店長がそんなことを配慮してくれるような人間では無いことは、これまで読んできた皆さんなら理解してくれると思います。
M支店長から、
顧客基盤が少ない⇒営業能力が乏しい、、、
営業能力が乏しい⇒支店の成績が悪くなる、、、
支店の成績が悪いのは、クズ社員9名がいるからだが、そのクズの筆頭がミートボウズだっ!!
どうやら当時、こういう理屈がM支店長の中では出来上がったようなのです、、、(;・∀・)
それからの日々は今思い出しても、怨恨の念が湧いてきます・・・
M支店長「なんでお前なんて人間が、うちの会社に入社できたんだっ!?」
M支店長「お前が仕事できないから、他の社員が迷惑してんだっ!!みんなに土下座して謝れぇ!!」
⇒プライドなんていくらでもくれてやります、営業フロアで土下座して「仕事ができなくて申し訳ございません。迷惑かけて申し訳ありません。」とやってやりましたよ。他の営業員がそりゃー居心地悪そうな、かつ私を憐れむような、複雑な表情で、ものすごく仕事しにくそうな顔をしていたのを今でも忘れません。
M支店長「そんな髪型してっから、仕事ができないんだ!!!」
⇒次の日から支店長の言うとおりの髪型(オールバック)にして出社することになりました。
M支店長「そんな、ちゃっちーー腕時計しているから、仕事ができないんだ!!!」
⇒むかついて、M支店長がつけている腕時計よりも、高価な腕時計を購入したら、この説教は無くなりました。今つけているグランドセイコーの腕時計は、そんな切ないエピソードがあります。
M支店長「お前みたいな人間と結婚する嫁の気持ちが想像できない、聞きたいから会社に嫁連れてこい!!そしておれに説明してくれっ!!」
M支店長「数字ができないなら、お前が持っている資産投げ打って、それで買えっ!!!自分で販売できないなら、それが当然の行為だろっ!! それができなければお前は給料泥棒だっ!!!」
⇒実際に自身のお金を150万円くらいだったか?投資信託を買うためにぶっこみました。M支店長としては後になって、“上司が強制して投資信託を買わせた”という揺るがぬ証拠になってしまうのを避けるため、私が投資信託を購入した事実を知った後は、「おれは強要はしていない、営業員たるもの自分自身で投資商品を購入するのが当たり前だから、お前は買ったまでだろ?」と態度を180度変更したことが、まぁーむかつくことこの上なかったな。
M支店長「オメーを育てた親に腹が立ってきた!! 田舎から親連れて来いやぁー オメーみたいな人間を育てた親に説教してやるわぁっ!!!」
・・・まぁーこんな感じ、これが1日30分×2セットで、毎日1時間は説教の時間があるって感じだったかなぁ~
本当に、マジもんで、、、一切誇張表現無しですこれ。
朝に30分説教聞かされて、仕事のモチベーションダダ下がりで一日がスタートして、夕方業務時間終了後に超勤時間をつけられるわけでもなくさらに30分、毎日毎日、時間も身体も精神もがっつり拘束されておりました。
それと、私が何か気に入らないことや、業務上のミス等をした場合は、執拗に原因を追究されて、M支店長しか見ることのない「謎の始末書」を書くように命令をくだされて、何度も内容を書き直しを要求されて、どれだけ自分が悪いことをしているのか、どれだけ自分が無能なのかを、言葉だけでなく文章として記述することを強制されました。
もうね、とやかく言われる内容も、自身のことだけでなく、嫁や両親のことに派生したり、、、、説教で毎日1時間、始末書の記入&校正で2時間近く仕事の時間を割かれる、、、、
今でも強く思う・・・
頼むから、おれに一生懸命仕事をさせてくれっ!!!
皮肉なもので、あのときの経験があったことで、今の自分は仕事が大好きな人間になりましたw
仕事ができるという状況が、こんなに嬉しいものだとは思ってもいませんでしたw
自分はうつ病になることはなかったものの、毎日毎日会社から自宅に帰ってからというもの、「もうこうなったならば、、、あいつを殺すしかない、、、この状況を打破するにはその方法しかない、、、」と、今思えばとんでもない思考を繰り返していました。
けれど、毎回その思考を繰り返すたびに、M支店長を殺めたところで、私自身が犯罪者になって、田舎に住む両親や、私の嫁やこれから生まれてくる私の子どもが、“犯罪者の家族”というレッテルを貼られてしまい被害を被るのは、それこそM支店長からの被害を受ける対象が私一人から、ただただ私以外の家族全体に拡散するだけで、「そんなことは御免こうむる!!」って思いとどまっていたんですけどね。
それでも、M支店長から1時間近く立たされた状況で、罵詈雑言を浴びせられ続けられる中で、何度も何度も思ったことがあります・・・
そんだけ言うならば、、、
それだけおれが邪魔ならば、、、
その気持ちを行動に実際に表せと、、、
単刀直入に言って、、、、
「はよ、おれに暴力をふるえ!!!」と・・・
M支店長はどんだけ自分に罵詈雑言を浴びせ、その場で地団駄を踏んだり、デスクをバンバン叩くことはあれど、決して手を挙げることは無かったんです。
「いやー、それは不幸中の幸いだね」って言われたいわけじゃないんですよ、むしろ逆で、最悪この上ないんですわ!!!
私としては、早いところ“正当防衛”という名目を獲得した上で、暴力での報復を夢見ていたんです・・・
いやぁー今思い出しても、本当に悔しい・・・やり返してやりたかった・・・
その当時MTGで土日遊んでた友人たちはこれを読んだところで、きっと、「そんなの嘘だろ、土日超楽しそうにしてたじゃん!!」って思うと思うんですが、これは本当の本当です。
※そんな状況下でも、会社としては土日が休みなわけで、その限られた週末をMTGで精一杯楽しみたかったこと、そしてそんな状況下においてもMTGが超絶楽しかったのも事実です。もしかしたらMTGがあったからこそ、今の自分が殺人者にならなかったのかもしれません・・・改めてMTGに感謝です。
まぁー、そんな状況に陥って、初めて「殺人者になるくらいだったら、仕事を辞めた方が何倍もマシじゃん」という至ってフツーの結論を出すことができたんですけどね。
M支店長に辞める事を告げると、ひとまずパワハラは終わりましたね・・・
私へのは
どうなったかは、詳細にここに書かずとも、ここまで読んできてくれた方には想像できると思います・・・
当時相当ショックでしたね、「結局、自分がいなくなっても、誰かが生贄になるだけなんだ」と、分かったことが。
それですぐさま会社のパワハラ相談窓口に電話して、それまでのM支店長の残酷な言動をすべて伝えました。
その後、私が会社を去った後ですが、本部の人間が支店へやってきてM支店長やその他の営業員に聞き込みを行い、すぐにM支店長は実質後格となる異動辞令が出されて飛ばされたとのことです。
今もしも、タイムマシーンがあって、あの時の自分と会うことが出来るならば、こう伝えてやりたい。
「お前は全然悪くないよ」、、、って
M支店長のパワハラが理不尽で、許されざることだとは、その当時だって、よくよーく十二分に理解していたつもりだったけど、この状況はある意味では、仕事の出来ていない自分のせいでもある、という心の負い目があったことは事実です。
だからこそ、社内にパワハラ相談窓口があることを知りながらも、辞めるということを決断して、他の社員へM支店長のパワハラの矛先が移る瞬間まで、社内の内部通報をためらってしまいました。
もっと早い段階で、躊躇なく社内の内部通報をするべきでした・・・
今振り返れば、T先輩がうつ病で休職をしてしまう前に、M支店長の横暴を内部通報するべきでした。
今回のパワハラ防止法により、明確にパワハラが定義されたことで、この時の私のような状況に陥った方が、「だけど自分も確かに悪い部分があるから・・・」なんて思って、パワハラを前に泣き寝入りしてしまうことが少しでも少なくなれば良いと思っています。
こうやって長々と文章にすることで、もしかしたら、あの時の自分のような境遇の人間が、一人でもこの文章に行き着いて読んでもらい、励まされることで、自身の目の前のパワハラを前に「さすがに、それはおかしい」と、堂々と言ってもらうことに繋がればと思い、書いてみました。
そーそー、それと退職を決断するときには、「もう結婚もしてるし、自分が辞めることで家族を養っていけなくなるから、仕事を辞めるわけにはいかないだろう」という思いもありました。
自分の場合の話ではありますが、年収としては前職よりもグッと下がったのは事実ですが、それ以上に仕事で感じるストレスが格段に下がったことで、今は仕事辞めて正解だったと心底思っています。
※収入は3~4割減になりましたが、都心から地方へ移ったことで、家賃や物価下がったことや、通勤ラッシュ等でもみくちゃになることも無くなり、何より仕事での感じるストレスが一兆倍薄まったため、完全にトータルではプラスに転じたと思っています。
そして、振り返れば、今回書きなぐったような、ただただツライ現実が思い出されるわけですが、この経験をきっかけに、仕事において自分なりに仕事しやすい環境を作りたい、、、自分自身含め、同じ職場の人間にも気持ちよく仕事をしてもらいたいと真剣に思えるようになり、現在どこまで出来ているかわかりませんが、日々意識して取り組むことができています。
今現在の職場では、非常に小規模ながらも、自分自身の部下もいる状況であり、そんなことはまずないであろうが、もし万が一にも将来M支店長に出会うことがあったときに、胸をはって「今の自分は真っ当な仕事をしている」と伝えられるような仕事ぶりをしていきたいと強く思っている。
いやー、とまぁーそんな感じなんだけど、今回はまれに見る長文となってしまった(;^ω^)
ここまでもし全部読んでくれた方がいれば、ただただ感情に任せて殴り書いた駄文に最後までお付き合いいただいたことに感謝の意を申し伝えたい。
そして願わくば、あなたの職場に過去の自分のような人間がいたときには、見て見ぬふりをするのではなく、パワハラ上司の横暴を社内のしかるべき部署に通報してもらいたい。
しかし、通報者が自分とわかって被害をこうむるのが嫌だからそれはしたくないという人も多いとも思う、それは決して卑下されることではない・・・
しかし、それが出来なかったとしても、百歩譲ってその社員を励ましてやってほしい、「きみは悪くないよ」でも、「(上司の言動が) あれはさすがにやりすぎだよなっ」とか、なんでもいいと思う、1人でも味方がいるってことが本当にその人間の大きな支えになるから。
よろしくお願いします ♪d(*’-^*)b♪
今回はそんな感じでーーーす
ではでは(´∀`*)ノシ バイバイ
コメント
人に歴史あり ですね。
これだけの長文、、、よくお読みいただきました、誠にありがとうございますm(_ _)m
普通の日記ならば一日で書ききるのですが、今回は保存しといて何日かに分けて書き上げることとなりました。
>人に歴史あり
まさしくそうなのです、そしてこれだけの経験、将来の自分の記憶が薄らいでいったときに、改めて思い出したいと思い、記録をさせていただきました。