【読書感想文】 『危機と人類 上・下』 ジャレド・ダイアモンド(著) 小川敏子・川上純子(訳)
【読書感想文】 『危機と人類 上・下』 ジャレド・ダイアモンド(著) 小川敏子・川上純子(訳)
【読書感想文】 『危機と人類 上・下』 ジャレド・ダイアモンド(著) 小川敏子・川上純子(訳)
今回は上下巻の本、かつ一冊で約2000円ほどする大作なので、読むのに時間がかかりましたね~

今回読んだのは、ジャレド・ダイアモンド氏の『危機と人類』です。

Amazonのページ ※ページは上巻
↓↓↓
https://www.amazon.co.jp/dp/4532176794


ダイアモンド氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の地理学教授とのこと。


この本を読むきっかけとなったのは、youtubeで同著者の著作である『銃・病原菌・鉄』の要約動画を見たこと。



【15分で解説】銃・病原菌・鉄|世界征服に必要な条件
サラタメさん【サラリーマンYouTuber】
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=Zd3VflbJx6A



チャンネル主のまとめ方がうまいのもあるんだろうけど、非常におもしろそうな本だったものの、要約動画を見てしまうと内容を知ってしまったことにより、改めて読書をしようと思う意欲は削がれてしまいますよね・・・??


つーわけで、昨年同著者から出版された今回の著書を購入して読んでみました。



タイトルの通り、過去の人類史においてダイアモンド氏が注目した“転換点”を、歴史的背景から含めて、そこで何がどういう経緯で起こったのか?結果としてどう乗り越えられたのか?(現在進行形の問題もあるので、どう乗り越えようとしているのか?)が、書かれています。



本著で取り上げられている過去の事例としては、①フィンランド、②明治初期の日本、③チリ、④インドネシア、⑤ドイツ、⑥オーストラリア。

現在進行形の問題として挙げられているのが、①日本、②アメリカ、③全世界共通の問題、、、そんなところです。



じゃーいつも通り、個人的要約をしていきます。






①フィンランドの対ソ戦争

現在フィンランドはロシアの隣接した国で、人口が600万人弱の小国。

第一次世界大戦以前は、フィンランド大公国というロシア帝国から自治権を認められた従属的な国に過ぎなかったそうです。

そんな中、1917年にロシア革命が起こって、ロシア帝国からソビエト連邦へと変動するさなか、ロシアからの独立を宣言します。


それを良しと思っていなかったソ連は、第二次世界大戦をきっかけに、フィンランドに攻め入ってきました。

当時ロシア人口1億7000万人に対して、フィンランド人口370万人で、その勝敗は火を見るよりも明らかに思われた・・・


しかし、1939年のフィンランドVSソ連の冬戦争でフィンランドがすんげーめっちゃ頑張るッ!!


人数的にも、物資的にも、圧倒的に劣勢なフィンランド軍だったが、戦車で攻め入ってきたロシア軍に対して、夜にロシア軍が火をつける焚き火を目印に、奇襲を仕掛けて接近して銃を撃つ(銃弾の節約も兼ねてだった)、シンプルな作戦だが、地の利を活かしてフィンランド軍は圧倒的な戦力差があるロシア軍に対して善戦する。


フィンランドは圧倒的な戦力差があるにも関わらず、ここまで頑張れたのも、当初はドイツ・イギリス・フランスから支援があると期待していたからだったのだが、無情にも援軍はなく、、、


健闘むなしく、1940年にはロシアとの講和条約を結ばされることになる。
(事実上のフィンランドの敗戦条約、領土をソ連に割譲する)


そんな中で、1941年にドイツのヒトラーがソ連に対して開戦を決定する。ドイツと共戦という形式をとり、ふたたびフィンランドはソ連と戦うこととなる。


ここの結果は知ってのとおり、第二次世界大戦の最終盤にヒトラー率いるドイツは降伏し、フィンランドも敗戦・・・


モスクワ休戦協定を締結し、フィンランドは多額の賠償金を払うこととなる・・・

しかし、この多額の賠償金を払うため、フィンランド国内では重化学工業が発達して現在の1人あたりのGDPが非常に高い国となる。


第二次世界大戦以降の1945~48年は、フィンランドでは「パーシキヴィ=ケッコネン路線」という政策がとられる。


ここでフィンランドは第二次世界大戦の反省をもとに、とられた政策の内容を3つにまとめると以下

①ソ連を無視しない
(相手が何を考えているか?いつも気にする。国として対話を継続)

②我々フィンランドは弱小国だという認識を持つ
(小国の外交に好き嫌いなぞない、具体的にはロシアの政策がどんなに気に入らなかろうとフィンランド政府・フィンランドの報道機関も自己検閲により、ロシアに対しての文句や批判はしないという方針)

③西側諸国(ヨーロッパ諸国)からの支援を期待しない




特に②は日本人である自分たちには到底考えられないものだと思う、しかしフィンランドはそれをやり続けたそうだ。


そして西側諸国との関係を進展させつつ、ソ連からの信頼を維持するという綱渡り外交を構築していった。



フィンランドは冒頭書いたように人口が600万人弱で非常に少ない、そのため絶対数の少ない労働力を最大限に活用して、利益率を重視するという考えの下、学校教育を世界的にも拡充していることが有名だ。


フィンランドでは小学校教員の方が、大学教授よりも社会的地位が高いんだそうです。そのくらい国として子どもへの教育に力を入れることになっているんだそう。


しかし、そんな中でフィンランドは今でも兵役義務が男性にはあり、志願があれば女性でも出来るんだそうです。
※そのためフィンランド人口の15%は予備役となっている。



著者はフィンランドには、第二次世界大戦時に独立を死守するための強いナショナルアイデンティティーがあり、それが非常に特徴的なフィンランド語にあるとしている。






②近代日本の起源


ここでは江戸時代に鎖国をとっていた当時の日本に、ペリーが来航してからの倒幕⇒明治政府新設してからの、西洋列強と肩を並べるようになるまでの事柄が書かれています。

米国人のダイアモンド氏の書く、日本分析・・・日本人の自分が読んでも新しい視点がありました。

私たちは学校の歴史の授業で、ペリーが浦賀に来て、当時の日本が西洋列強と不平等条約を締結させられて、それを改正するために苦労した・・・というのは勉強したと思うんですよ。(領事裁判権とか記憶にありますよね?)


ダイアモンド氏の分析する、当時成功に導いた明治政府の指導者たちの3つの大原則が以下です。


①現実主義・・・西洋列強は強くて日本はまだ全然弱い、各国の強さの源を吸収していこう~

②西洋諸国に強要された不平等条約の改正をするためには、国力が弱く・文化が未熟だったのが原因だから、良くしていこう~

③外国の手本をそのまま導入するのではなく、日本向けに調整した上で使用していこう~



特に③の例としては、陸軍の手本はドイツ、海軍の手本はイギリス、憲法改正はドイツ(ドイツ帝国は強大な力を持つ皇帝の存在があり、日本の天皇と近い存在だったため)などがある。



明治政府になってから西洋列強の強さを吸収していった日本は、1894年の日清戦争、続く1904年からの日露戦争で勝利を収め、どんどんと領土を増やしていくが、それにより冷静な判断ができなくなったのか?甚大な被害を被る第二次世界大戦へと突入していく・・・


ダイアモンド氏も、明治初期の日本(1867年~)と第二次世界大戦当時の日本(1937年~)では、知識と経験の欠如の違いがあらわれたのではないか?と書かれている。






③すべてのチリ人のためのチリ

チリは南米の超細長い国のことね(超絶基本的導入部w)

1973年にチリは軍事独裁政権に支配されて、その政権が17年近く続いた国です。

そこでの一連の事件が、ここで書かれる事柄です。


まずその事件のきっかけとして、1970年の大統領選において、連立野党から選出されたサルバドール・アジェンデ(以下アジェンデ)が大統領となる。

アジェンデは決して人気があって当選したのではなく、得票率36%で次の政党との差はわずか1.4%しかなかった。

そんな中で、アジェンデはマルクス主義的な政策を果敢に進めていく・・・・


当時は1962年にキューバ危機があって、米国としては社会主義・共産主義な国ができることに強い脅威を感じている、そんな時代背景もあったなかでだ。


アジェンデの政策で様々な企業が国有化されたり、様々なモノに対して物価凍結がされたり、財政赤字対策として紙幣を増刷していったりして、チリ国内がハイパーインフレになったりして大変な状態へとなっていった。


そして遂に、その状態を変えるべく、1973年にチリの軍隊によってクーデターが勃発。


その後、アウグスト・ピノチェト将軍(以下ピノチェト)が、チリ国内を実質治めることとなる。


ピノチェトがまずやったことは、国内各地での共産主義者の尋問・拷問・殺害。それらの人物を閉じ込めておく収容所の建設だった。そこで計画的に左寄りの思想の人間をどんどんと殺害していくことになる・・・



経済に関しては、アメリカのシカゴ大学出の経済人たち(シカゴ・ボーイズ)を迎え、自由市場政策を採用する。

それにより、国有化された企業を再民営化したり、輸入関税を120%から10%に大幅に引き下げることで、経済を活性化させて、財政赤字の縮小をおこなっていった。


1980年にはピノチェトの任期を8年延長するかどうかの、国民投票が行われ、賛成多数により延長される。


それで味をしめたのか、1988年にもふたたび任期を8年延長する国民投票を実施する、、、しかしそこで任期延長反対の運動もあり、58%が反対して否決される
。(逆に言えば42%はまだ支持していた)



この事例から経済的な成果と、政権主導の犯罪行為とのギャップにどう折り合いをつけるべきなのかを考えさせられる。




アジェンデのように、国民全員が平等に幸福になれるように共産国を目指していって、そこで政策がうまくいかず経済がズタズタになる世の中と、、、、ピノチェトのように経済は自由経済で国力はあがっていくけど(マイナス面としては格差は広がる)、個人の思想次第では拘束されて収容されて最悪殺害されるのが普通の日常の世の中、、、二者択一だったらどっちを選びます???

もちろん現在の日本人の私達からすれば、そんなんどっちも選びたくないわ!!ってなるんですけど、1970~80年代のチリではその究極の二択しか国民にはなかったんですよね~

考えさせられます・・・(;´Д`)






④インドネシア、新しい国の誕生

お次はインドネシア、インドネシアと言えば人口が2億6000万人もいて、中国・インド・アメリカに次ぐ人口世界第四位の国ですね。

国としての歴史は非常に浅く、第二次世界大戦終了後の1945年にインドネシアとして独立したのがスタートです。

独立するまでの過去2000年間は、国家としてはたくさん存在していたものの、現在のインドネシア一帯を統一する国はなかったことから、言語も宗教も多様性に富んでいる。言語は700以上存在しており、宗教もイスラム教・キリスト教・ヒンドゥー教・仏教とバラバラ、、、

そのためインドネシアは、ナショナルアイデンティティーが希薄だった。それを変えたきっかけがマレー語を進化させたバハサ・インドネシア(インドネシア語)だった。


1945年に独立した後の、インドネシアの初代大統領にスカルノが就任する。


1955年におこなわれた選挙では92%が投票するという驚異の投票率であったものの、4つの主要政党がほぼ均等に議席を分け合うような結果となったことから、これに業を煮やしたスカルノ大統領が思い切った行動に出る。


1957年にスカルノは戒厳令を発令して、議会の議席の半分はスカルノ自身が任命できるようにする。


そして極めつけは、1963年にスカルノは終身大統領を宣言する。


もともとスカルノ自身、国民にも人気があったそうなんですが・・・日本人の私からすると流石にやりすぎちゃうん!?って思うんですけどw


そんな中で1965年にクーデターが起こります。


話の流れ的には、スカルノのやり過ぎに端を発して、スカルノが暗殺されたりしそうですがそうではないんだそうです。


その話をするために、1960年代インドネシア国内においては3つの勢力が権力争いをしていました。


まず最初に①スカルノ大統領、その次に武力を有する②軍部、そして最後に当時勢いのあった③PKIという共産党組織、です。



スカルノとしては、実働部隊として軍部とも関係は良好にしておきたいし、その当時の政治への影響力を鑑みてPKIとも関係を良好にしておきたいというところだったんですが、、、


政治思想として軍部とPKIは、右と左で正反対。敵対視する関係性でした。


そんなときに、1965年のクーデターにおいて、PKIの部隊が軍部の将軍7名を拉致し、その多くを殺害するという事件が起きてしまいました。



しかし、それをきっかけに軍部の司令官であるスハルト(スカルノと非常に似ていて間違いやすいw)が実権を握るように情勢が変わります。


スハルトは掃討作戦と銘打って、PKIのメンバーを大量虐殺していきます。

正確な記録が残っていないため、確かな人数はわからないものの、50万人はこれにより殺害されたのではないか?と考えられているそうです。


軍の司令官であるスハルトが大統領になったことでの弊害として、インドネシアは世界有数の汚職大国となってしまったそうです。

1998年にスハルトは失脚し、1999年に約40年ぶりに自由選挙が行われましたが、著者は一連の問題の要因には、インドネシアの希薄なナショナル・アイデンティティーがあると考えているそうですが、現在ではインドネシア国民の意識も根付いて来ているそうです。





⑤ドイツの再建


第一次世界大戦も第二次世界大戦も、開戦の発端はドイツなんだそうです。
(第一次の方は諸説あり)

つーわけで、5カ国目は2回の世界大戦を経てきたドイツです。


そもそも第一次世界大戦でドイツが敗戦して、ヴェルサイユ条約が交わされたんですが、その内容がドイツにとってつらすぎて、ドイツ国民が被害者意識MAXだったそうなんです。

そんなときにヒトラーがあらわれて、ドイツ国民の被害者意識を焚きつけて、どんどこどんどこと第二次世界大戦が始まるに至ってしまったそうなんですよ。


で結局のところ、第二次世界大戦もドイツは敗戦して、勝った側の連合国によって、ニュルンベルクでの裁判がおこなわれたわけね。

そこでナチスの指導者24名中、10名は死刑宣告を受けるんだけど、この一連の裁判は「勝者の裁き」としてドイツでは冷ややかな受け取られ方をされていたそうなんです。

※「おめー達は勝ったから、おれ達のことを犯罪者扱いするけど、おれ達が勝ってたらこうではなかったはずだっ!!」みたいな


しかしその後、ユダヤ系ドイツ人である法律家のフリッツ・バウアーによる、「ドイツ人はみずからを裁くべし」の信条による裁判が行われる。



その裁判において、戦時中ナチスの信奉者だった人々はこう弁明する。


「自分は悪くありません、ただ命令にしたがっただけです」



そこでバウアーは繰り返しこういう・・・


「ナチス国家の法律は違法であった。それに従っていたということは行動の言い訳にはならない。」




この裁判はドイツ国内でも注目をされ、第一次世界大戦後のドイツ国民の抱いていた被害者感情とは違い、第二次世界大戦後のドイツ国民に戦争を引き起こした罪への責任を強く受け止めさせる結果となった。



また1970年に西ドイツの首相ヴィリー・ブラントがポーランドに訪問した際、群衆の前でひざまずき第二次世界大戦に対する赦しを求めたのも、歴史的に大きな意味合いがあると言う。


ここで日本が引き合いに出されるのだが、ドイツは学校教育において第二次世界大戦を引き起こしてしまった自国の責任を真摯に受け止める授業をするのに対して、日本は世界で唯一原爆を落とされたことを強調した平和教育を熱心にするものの、第二次世界大戦を参戦した自国責任に関しては教育の場において無関心であることが、現在の日本と中国、日本と韓国の関係悪化に繋がっているので、是正するべきだと訴えている。


確かに歴史の授業で、第二次世界大戦辺りって、あっさりし過ぎていたような・・・(;゚д゚)



現在のドイツを見ていても、EU域内において最重要国であり、成功しているところを見ると、著者の主張も軽視はできないと思いましたね。










とまぁーそんな感じで、、、




ドイツの次はオーストラリアの話があって、その後は現代日本の現在進行形で直面している問題の話(少子高齢化・政府の大量借金問題・移民問題・男女格差問題・中国韓国との外交問題)だったり、その次は米国の同様に現在進行形で直面している問題の話(民主党と共和党の政治的妥協が過去と比較して衰退していること等々)、最後に核兵器や気候変動、化石燃料問題の全世界が関係してくる問題の話があって、この本は終了するのですが・・・・





個人的にここまで書いたことで、十分満足したので終わりますwww







ダイアモンド氏のそれ以外の著書も機会があったら、また読みたいですね~♪♪

ではでは~~  (ヾ(´・ω・`)

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